2010年07月05日
今年は藤枝の大祭り 早いもんですねもう3年たちました。
木町の大祭りが10月に行なわれます。役員の方はこれから大変ですが、体を大切にして頑張って下さい。私は52歳のとき八木昌弘君が団長でやった祭りの時に、副団長をやらせて頂きました。KYKの海老名君、杉森君も同じです。大変でしたが良い思い出になりました。このたび今の団長さんから、60歳になるまでの人は、祭りに参加して手伝ってくださいと要請がありました。お世話になった木町の祭りですので、少ししか手伝えませんが祭りに参加をしたいと思います。楽しく明るく前向きに、参加した人皆さんが良い思い出を作れるような、お祭りになると良いと思います。会社員、商売人、公務員、色々な人がバカになって楽しく、木町の子供達がかっこいいと思えるお祭りをやってもらいたいですね。祭りに良い役とか損な役とかはありません。参加する皆さんが主役です。地に足をつけた本当の木町の祭りを頑張って下さい。大畑団長さん飲み過ぎないように頑張って下さい。大畑さん、団長と言う役は大変ですが、役は薬にて躍なりと言います。皆さんから選ばれた大切な役です頑張って下さい。暑い夏を過ぎれば祭りは直ぐにやってきます。
2010年07月04日
淋しいですね 名古屋の実家の建て替え
昭和35年ごろ名古屋の瑞穂区の東栄町から、ベビー服の商売で儲けた親父が昭和区の小桜町に家を建てた。当時は立派な家だった、その家が老朽化で建て直すことになった。会社と住居が同じで当時は親父の出た村の若い衆が沢山見習いでいた。20人以上の男の人が住み込んで商売の修行をしていた。沢山の人が独立して行った。お袋の親戚も何人か住み込みでいた。工場には10人ほどの女の人がミシンを使ってベビー服を縫っているのを覚えている。住み込みの女の人も何人もいた。亡くなった親父の力強い姿がしみこんでいる家、今は体が弱っているお袋にいつも怒られていた。私は3人の兄弟で一番親に迷惑を掛けた子供だったと思う。体は100キロ以上あり勉強はしないし、上の二人とは出来が雲泥の差であったが末っ子の強みで居心地は良かった。その家が8月で取り壊しになり、新しい家に生まれ変わる。商売を永年やってきた家だった、淋しいと思うが仕方がない、もう世代が交代しているのと、世の中の流れが繊維の名古屋を必要としなくなってしまった。兄貴もよく踏ん張ってベビー服業界でやってきたが、もう亡くなった親父もよく頑張ったと言っていると思う。お袋をずっと看病してくれるのと最後の家を見させてもらった兄貴夫婦に感謝したい。新しい家が出来たらユックリした生活をしてもらいたいと思う。
2010年05月20日
誕生日です 58歳
2010年02月07日
藤枝市の空襲の戦争の資料で思った 監視哨と言う建物
私は名古屋ですので、子供の時にはあそこにBー29が落ちたとか、私の高校は軍需工場の跡地でしたので戦死者の話を沢山聞きました。あちらこちらで戦争の爪あとを見ることが出来ました。この藤枝市で空襲があったとは、今日親父から突然藤枝の防空の資料監視哨を貰った。今の静浜飛行場や牧の原の飛行場があるので、監視することがこの地域の役目だったのだろう.静岡、浜松は軍需工場が沢山あったので攻撃を受けたそうだ。その監視が重要な任務だと書いてあった。それと駿河湾にいるアメリカの潜水艦の監視もやっていたそうだ。空襲も負け戦になると特攻機のある九州に移ったそうだ。知らないことが沢山分かって良かった。場所は今の若王寺に在ったそうだ。当時の若者が交代で監視をしていたそうだ。差し入れの資料も残っていて地域皆で守っていたそうです。団結が凄かったと思います。今はそういうことが無く安心ですが、地域の仲間意識は薄くなってしまいました残念です。藤枝監視哨は今は資料館に資料があるだけです。本当に残してもらいたかった。親父はその資料を作るのに関わったそうです。その資料を今日私にくれました。孫たちに戦争の話しをしてやれと、確かにもう遠い過去の事のようになってしまった戦争です。私の父は満州で永い間戦争に明け暮れていました。その話は沢山子供の時に聞きました。藤枝の親父は国で少年として、戦いの中にいました。監視している時に伊豆半島からやってくるB-29を見つけたそうです。苦しい経験をした人達が元気な時に、色々な話を聞くことが私の年代の義務だと思います。此の資料を大切にして孫たちに話をしてやります。

2010年01月11日
若い人に譲る気持ちを持つ
どんな組織も発展しないと意味が無い。今の時代は自分の名誉のためにとか、地位のためとかで役職をやる時代ではない。特に組合も地域の役もやる気が無ければ、降りるしかないと思う。また世襲制では意味が無い。褒章や勲章は貰える事は、凄いことだと思う。でも自己満足で終わってしまう人が多い。貰ってしまえば関係ない人がかなりいる。私は役を受けたら全力でやって、頭が鈍ったと思ったら、直ぐ若い世代に移すべきだと思う。とにかく仕事も色々なことも、死ぬ気でやらなければ駄目になる。此の気持ちで今年も頑張るつもりだ。

