2010年02月07日
藤枝市の空襲の戦争の資料で思った 監視哨と言う建物
私は名古屋ですので、子供の時にはあそこにBー29が落ちたとか、私の高校は軍需工場の跡地でしたので戦死者の話を沢山聞きました。あちらこちらで戦争の爪あとを見ることが出来ました。この藤枝市で空襲があったとは、今日親父から突然藤枝の防空の資料監視哨を貰った。今の静浜飛行場や牧の原の飛行場があるので、監視することがこの地域の役目だったのだろう.静岡、浜松は軍需工場が沢山あったので攻撃を受けたそうだ。その監視が重要な任務だと書いてあった。それと駿河湾にいるアメリカの潜水艦の監視もやっていたそうだ。空襲も負け戦になると特攻機のある九州に移ったそうだ。知らないことが沢山分かって良かった。場所は今の若王寺に在ったそうだ。当時の若者が交代で監視をしていたそうだ。差し入れの資料も残っていて地域皆で守っていたそうです。団結が凄かったと思います。今はそういうことが無く安心ですが、地域の仲間意識は薄くなってしまいました残念です。藤枝監視哨は今は資料館に資料があるだけです。本当に残してもらいたかった。親父はその資料を作るのに関わったそうです。その資料を今日私にくれました。孫たちに戦争の話しをしてやれと、確かにもう遠い過去の事のようになってしまった戦争です。私の父は満州で永い間戦争に明け暮れていました。その話は沢山子供の時に聞きました。藤枝の親父は国で少年として、戦いの中にいました。監視している時に伊豆半島からやってくるB-29を見つけたそうです。苦しい経験をした人達が元気な時に、色々な話を聞くことが私の年代の義務だと思います。此の資料を大切にして孫たちに話をしてやります。

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