北の富士関が亡くなった、高校2年の時に相撲に誘われた九重部屋(横綱千代の山親方)その時に北の富士横綱とお会いした、会話が上手くてNHKテレビの解説と同じようだった。あの時、お前は十両まではいくと思うと千代の山親方が言ったのを憶えている。柔道の練習を終えて学校から帰って来て、少年マガジンや少年サンデーを読んでご飯を食べて寝ている生活、体が大きなだけの俺が通用する社会ではない、この頃も分かっていたので直ぐに断った。九重部屋に入っていれば横綱千代の富士関と同期だった。親方がこいつは北海道から来たんだと紹介された、彼は眼光鋭く当時もウルフみたいだった。北の富士関は素敵な80歳超えだ私の目標だ! 若乃花関も80歳を超えた人生、お相撲さんでも体重をコントロールした関取は寿命が長い。
中学の時は最初の若乃花関(二子山親方)から誘われた、浴衣をもらったのを憶えている、親父の方が興奮していて相撲取りになれと言った!それほど若乃花は大衆の憧れの人だった。柔道部で体が大きいが、根性がまるでなく、少しぐらい柔道が強いと言っても、やんちゃな坊主が通用する世界ではない事は分かっていた。名古屋場所は柔道の試合が多い名古屋スポーツ会館に近く、柔道の試合で体が大きいから目を付けられたと思う、その時に先代の貴乃花関からお菓子をご馳走になった、こいつは俺の弟(貴乃花)だ、水泳東京代表だったが、水泳では飯が食えないから相撲取りにすると言った会話を憶えている。北の富士関が亡くなって色々な事を思い出した。人生色々な分岐点がある、どれが正解だったかは分からないが、出来るだけその立場で頑張って生きて行くしかない。